沿革

篠原小学校閉校から篠原の里立ち上げへ
篠原の里は平成15年3月の篠原小学校廃校後に、校舎跡地利用の検討とあわせて立ち上げの検討が始まりました。篠原地区振興協議会が設置した篠原の里設置準備委員会が中心に計画を立ち上げ平成17年(2005年)5月7日にオープンしました。都心から1時間程度の場所に、ホタルやギフチョウがが飛び交い、炭焼きや酒まんじゅうづくりが生活の中に息づいているなんて信じられますか。戸数90、人口250程度の小さな集落です。藤野町の中でも隔離されたような場所です。高齢化率は進んでるものの、最近はこの環境を愛し、地域のコミュニティーを好んで引っ越してくる若い家族も多くなりました。空き家になっていた家もこんな仲間達が借り受け、たくさんの子どもの声も聞こえる地域になってきました。縄文時代から続く地域の文化や伝統に新しい仲間がいい刺激を与えながら発展しようとしています。廃校舎もは篠原の里の中心的な施設としてこれから進化しようとしています。皆さんのご協力をよろしくお願いします。

篠原小学校の歴史をふりかえって
篠原小学校は明治6年(1873年)福寿院の一部を借り牧野村小学校の篠原支校として解説されたのが前身です。明治25年(1892年)に篠原小学校と改称しました。以来130年の歴史を重ね平成15年(2003年)3月に閉校、1200人以上の卒業生を送り出しました。昭和20年代には生徒数が130人を超えるような時代も続きましたが、少子化も進み閉校直前には全校生徒が6名になりました。その思いもありこの校舎がいつまでも子どもたちがつどい大人も楽しめる賑やかな施設として再生できるように「篠原の里」として取り組んでいます。

戦前戦中の国民学校時代

戦後新校舎完成そして平成へ

そして平成15年3月閉校

最後の運動会は住民総出で